同じ光を受けた者    【3/3】




 帝のアパートからの帰り道。
公園のメッキの剥げたボロ時計を見ると、もう少しで十時になろうとしている事が分かった。
随分長い間帝のアパートにいたんだな と思った。
冷たい北風に吹かれて背中がブルッと震える。
さすがにこの時期にこの時間帯では薄いロンティー一枚だと殺人的に寒かった。
確実に俺の体温は奪われていっている。吐く息は真っ白になって細長く揺らいだ。

「寒いかの?唇が紫色だぞ」
「うそっ! 紫!?・・・・・・でもこれじゃ寒いに決まってるよ」

俺はロンティーの袖の裾を伸ばした。そして自分の唇に指を添えて確かめてみる。
触った感じじゃ色合いは当然分からなかったけど、少しかさついていた。
速まっていた足を落ち着けて、良秋さんと並ぶ。

「ごめんな。仕事から帰って、そのまま何も羽織らずに来たから・・・・・・」
「いや、いいよいいよ」

良秋さんは自分に対して薄着の俺に上着を貸してやれない事を謝った。
彼の格好は普段の会社に行くときのスーツ姿で、確かに何も羽織ってなかった。
けれど、仕事に出社して行った時はコートを羽織っていたはずだが。
俺が居ないことに気付いて、コートを羽織る余裕もなかったという事だろうか?
それならそれで嬉しい事である。
普段構ってくれない良秋さんが俺の事を心配してくれるという事だけで、俺にとっては
奇跡的に感激だ。俺はいい気になって口元が緩んでしまった。だけどまたそんな脳天気な顔で
笑っていると「何でお前はそう楽観的なんだ!」って怒られてしまうから、良秋さんに気付か
れないように直ぐにニヤけた表情を隠した。

「別に気にしないでいいよ。良秋さんも寒いでしょ?」
スーツ姿も十分冷えるはずだ。
「じゃあ、こうしようか?これなら二人暖かい」
俺は良秋さんの腕に自分の腕を絡ませて、密着させた。
夜中とまではいかないこの時間帯だが、人気がないからこそ出来る事だ。
まぁ、俺はそこらでカップルがイチャついてても全く気にしないでいられるが、良秋さんは
少し気にするみたいだから。あんまり出来ないだけに出来る時に思いっ切り腕を組んだ。

「本当に暖かいか?」
「・・・・・・雰囲気の問題だよっ」
良秋さんは本当に雰囲気読めないんだからな〜。

しばらく沈黙を保っていたけれど、良秋さんが口を開いた。
「お前、戻りたくないって言ったけど、もうその猫は死んでいるんだぞ。一体どうするつもりだ?」
顰め顔を作って見下ろされる。腕は組んだままだったから右横から覗かれる形だ。

「・・・・・・分からない。どうしよっか・・・・・・?」
「どうしよっかって・・・・・・。お前なぁ、何も考えていなかったのか?」
耳元で予想外に大きい声が聞こえる。
そんなに驚くような事を言っただろうか?
最近漠然と思っていた事を言っただけで、詳しい事なんか何一つ考えてはいなかった。

「う、うん。でも、良秋さんは早く俺が元に戻って欲しいんだよね?」
「当たり前だろ!」
「・・・・・・うん。じゃあ決めた」
「本当か!」

良秋さんが先程と同じように大声をあげる。
でも、今度は期待とか安心感とかを含んだ声のようだった。

きっと・・・・・・きっと良秋さんは俺がこう言うのを望んでいるのだろう。
「やっと元の姿に戻れる方法が見つかったんだ。だから直ぐにでも病院に行って、元に戻りたい」、と。
良秋さんがこのややこしい身体を嫌っているのも、
さっさとこの状況から脱して面倒事は片づけてしまいたいと思っているのも知っている。

だけど俺は決めちゃったんだ。
しかも良秋さんを俺の我が侭に付き合わす。

「俺、この猫の飼い主を探すよ!」
「・・・・・・はぁ!?」

予想通りの三度目の大声。良秋さんは目を見開いてこちらを凝視した。
俺は悪戯心に近い感情でいっぱいになって、つい笑ってしまった。

「実はさ、この猫の気持ちが何となく分かるんだ。
時々無性に不安になったり、悲しくなったりする。
・・・・・・それはきっとこの猫の気持ちなんだよ!」
「飼い主に会いたいっていう事か?」
「うん。猫はきっと大事にされてた。俺が助けてやれなかったから・・・・・・
後悔したくないんだ。俺が元に戻っちゃったらもう猫との繋がりはなくなっちゃうだろ?」

交通事故にあってしまったのは俺が悪いわけでも、猫が悪いわけでもないんだろう。
不運が重なってしまっただけだと分かっていてもやっぱり何か心に訴えるものがあった。

猫の気持ちが分かるというのは少なからず本当だ。
自分でも良く分からないけど、前はこんな事はなかった気がする。
前っていうのは交通事故に遭う前の事だ。
不安になったり、悲しくなったりするのは本当に自分の感情じゃないみたいに溢れてくる。
それが本当に猫の気持ちなのかなんて断言なんか出来やしないけど、
飼い主探しなんて只の俺の自己満足でしかないんだろうけど・・・・・・。

「最後に会わせてやりたいんだ」
「だけど、飼い主だなんて・・・・・・。何も分からないんだろ?」
「・・・・・・うん。まぁ、今はね!これから調べていくよ」
「お前って本当にポジティブだな。ある意味感心するよ」
「そう?」
「・・・・・・分かった。じゃあ今後の方針はこれで」
「やった!手伝ってくれるんだね」

自分の考えを理解してくれたようだ。本当の所、少し心細かったけれど
良秋さんが手伝ってくれるなら俄然やれそうな気がしてきた。
だけどそれから直ぐに良秋さんは真摯な眼差しを向けてきた。
緊迫した空気が流れる。何かとてつもないことを言われそうで動悸が速まった。

「俺も手伝おう。だけどな、一つだけ約束してくれ」
「約束?」
「昴が元の姿に戻れるなんてあくまで帝さんが言った仮説でしかない。お前が無事元に
戻れる保証なんてどこにもありはしないんだ。もちろんお前が言った飼い主探しにだって
心から賛同しているわけじゃない。だから・・・つまり・・・」
「・・・・・・」
「何かあったら随一俺に報告する事!俺を頼ること!これだけは約束してくれ・・・・・・」
「良秋さん・・・・・・ありがとう。約束するよ」

良秋さんからそんな言葉が出るなんて。俺は正直感動していた。
彼はやっかい事が嫌いな上、今の俺の状況はこの上ないくらいやっかいな出来事だって
いうのに。「俺を頼ること!」この言葉が頭の中を何回も反芻した。気を抜けば涙が出
そうなくらい嬉しかった。一人で考えていて悩んでいて、弱っていた部分もあったから
余計に良秋さんのその言葉に救われた気がした。

 渋々と言った顔で付き合ってくれると言った良秋さん。
良秋さんは何だかんだ言っても最終的に俺の事を想ってくれているんだ。
俺は上機嫌で絡ませた腕に力を込める。
いつの間にか肌の震えは止まり、風も随分弱まっていた。

「えへへ。でもまさか良秋さんが手伝ってくれるなんて思わなかったよ。
絶対「ふざけるな!」って言われると思ったし」
「だってお前やるって言ったら止めないだろ」
「まぁね♪」
「こいつっ」
俺が悪戯に笑うと、良秋さんは俺の右頬を抓った。
「痛いっ!」

「でも・・・ほんとにありがと。俺頑張るよ!」
「・・・・・・ああ」
「じゃあ、早く帰ろっ」
俺はそう言っていつの間にか止まっていた足を再び動かした。

 良秋さんの平穏と飼い主探しを秤に掛けて悩んでいた。
自分でも猫の為に自分の一生を犠牲にするつもりはないが、結局何かが俺を突き動かし
たってことだろう。
元に戻る方法は見つかったものの、次は行方も知らない飼い主探し。
不安と背筋がゾクゾクする興奮の中で一歩前進した気がした。
一番の成果は何と言っても帝、司郎との出会い。
この二人にはまだ聞きたいことがある。
何か知っているはず。そうでなくても飼い主探しの仲間に・・・・・・
力になってくれるはずだ。

猫の飼い主探し・・・・・・全力前進で頑張ろう。
良秋さんの暖かい優しさの中で、そんな覚悟を決めた月の綺麗な夜だった。

♦Fin♦


090327