難解な囁き




風が吹き抜け木々が揺れる音。瑞々しい全てのものが躍動する音。ただそこにあって静止する影。
そんなものを掻き分けて何よりも私の耳に届く。

私の思考はそこで中断され、その声のする方に眩い光を見出す。



「ここは風が気持ちいいね」
澄まされた水面に映る二人の影。水車の回る海を一望出来る場所で、二人は休息を取っていた。
「風が強くて飛ばされそう。ダイジョウブ?」
イコは静かに少女に呼びかける。薄い肌を持った少女は目を眩かせて微笑んだ。

『            』

イコには理解出来ない言語を繰り出す少女、ヨルダ。どうやら自分とは違う文化を持った人なんだと
思う。やっぱり分からないや、とイコは残念に思った。どういう経緯があったが知らないが、どうし
てヨルダが囚われていたのか。一体どこからやって来たのか。せっかく出会えたのだから感じている
ことを共有して理解したい。そんな難しいことじゃない、お互いのことを少しでも知り合えたのなら
……この悲しい瞳を覗いてはイコはその都度思うのだった。

「紙と筆があれば、文字で分かるかも知れないのにね」

イコがそう言うとヨルダは不思議そうに微笑した。こんな提案でさえも彼女には理解出来ない。いや
出来ているのか出来ていないのかさえ分からない。自分が理解出来ないのと同じように彼女もまた、
理解出来ずに居るのだ。それがどんなに不安で寂しいことか自分でも思う分、ヨルダの気持ちも察し
がつく。

「文字も違うのかな?」

イコが頭を傾げるとそれに応じるようにヨルダも頭を傾げる。それが面白くてイコが笑うとヨルダも
また笑うのだった。

ヨルダがイコの手を取った。

「何?」

イコの掌にヨルダは黙って指を添えた。そして決められたような順で掌を滑っていった。それは風が
通り抜けるように自然で、滑らかなものだった。

「……文字?」

イコは即座に気が付いた。ヨルダは文字を描いているのだと。いや、文字では無いのかも知れない。
けれどヨルダが自分に何かを訴えようとしている行動だと思った。

「……」

ヨルダの真摯な姿勢にイコは見入った。当然自国の文化ではない文字だ。何かの絵という訳でも
ない。けれどそれはふざけたものではないということだけは分かった。

「ヨルダ……うん」

イコが頷くとヨルダも頷いた。

「ごめん。分からないよ」

イコが苦笑すると、ヨルダは何かを悟ったように眉を顰めイコと同じように苦笑した。
どうしても伝わらない想い。君は何を考えているの?

二人は並んでソファに腰掛けた。目を閉じると様々な雑音が聞こえてくる。音楽が鳴っている訳じゃ
ない。他に誰かいるでもない。イコとヨルダ。そこには二人だけ。けれど多くの生命が溢れている。
ヨルダは手を伸ばした。その手はイコの右手へ。先程水遊びをしていたからか触れた手はずいぶん冷
たい。しかしそれ程ヨルダの手もひんやりとしていた。

「ヨルダ?」

ヨルダは目を瞑り微笑んでいた。光を受け薄い肌が更に白く眩く光っている。
今……何を考えているんだろう?僕のこと?
イコはヨルダを見つめて暫し頭を悩ませた。

「ヨルダ……やっぱり分からないや」

そしてさっぱりお手上げだという風に肩を竦めた。けれども、僕たちはこれで良いと思った。
ただこうしているだけで安心出来た。自分と国が違くたって、文化が違くたってそんなことはさほど
関係ない。だって、こうしてヨルダは笑ってる。そして僕も笑ってる。難しい事なんて何もない。そ
う思ったとき一層健やかな風が吹き出して、心地よい眠気がイコを包んだ。

重ねられた手を今度はイコから力強く握り返した。





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2009/06/08