愛猫とお月様 1




今日は俺の恋人の誕生日!
プレゼントも用意したし、明日は土曜日だし。

部活で帰りが予定より遅くなってしまった。
だいぶ暗がりのかかった道を走る。
時刻は夕方の頃を過ぎ、少し星が見え始めている。
一刻も早く着くために人通りの少ない道を探した。

もう少し。
あと少しでマンションが見えてくる。
サッカー部で鍛えられた自慢の足がすいすいと坂を上っていく。




あ…猫。

黒い、真っ黒い猫。
細い肢体に翠色の瞳が光を放っている。
その猫はか細く一鳴きすると彼の足に絡み付くように寄り添った。
「何だぁ?お前、懐っこいなぁ…!」

小さく震える猫を撫でる。するとそれに応えるようにもう一度鳴いた。
可愛らしい大きな瞳でこちらを傾げてくるその姿に、白昼昴は頬を和らげた。

お腹でもすいているのか、どことなく寂しそうな表情をしている気がする。
「うーん…ごめんなぁー。俺急いでるし、お前何か飼い猫っぽいし…。」
綺麗な毛並みは恐らく優しい飼い主に丁寧にブラッシングされてる証だろう。
まだ若干子猫のようで、綿玉のようにふわふわしている。

「きっとご主人様が心配してるぞ。早く帰れな。」
猫の頭を軽く撫で、その場を離れた。

すると突然猫が駆けだした。向かう先は昴の脇を抜けた、横断歩道の先。

「おい!危ないぞ!」
そんな昴の制止の言葉にもピクリとも反応せず、猫はステップでも踏むように横断歩道の線に足をかけた。

すると次の瞬間ー。
車のドリフト音。耳を覆いたくなるような激しく嫌な音だった。

光に飲み込まれるその刹那昴は猫を後ろに守り、固く目を閉じた。





「――っ昴!」
「あ…宮束さん…。」

深夜の救急病棟の病室にはただならぬ空気が漂っていた。
はじめにに視界に入ったのは昴の両親だ。母親の方はベッドに寄り添い、昴の手を固く握りしめている。

「恵子さん…す、昴は…。昴君の様態は…!」
「…宮束さん……まだ意識が戻らないの。」
両親は顔をあげ良秋を見た。それぞれに落胆の色がみえる。
「どうして宮束君が?」
病室にいきなり入り込んできた男に驚愕の顔を向け、父親がそう言った。
昴の父親である白昼昇は皺を寄せて苦しげに良秋の名前を呼んだ。
彼は良秋の上司でいつも付き合いに同行したりしている仲だ。
そんな昼間の上司の凛々しい姿はなく、心なしか頬が削げて一層影がかかって見えた。
「昴と仲良くして頂いてるから……今夜も約束なさっていて、一応私から連絡をいれておいたのよ。
まさかこんな事になるなんて驚いたでしょう?」
「本当に私のせいです。何と申していいのか……それで昴は大丈夫何ですか?」
良秋はまだ二十半ば位の男だった。何時までも自宅に訪れない昴を心配して深夜まで起きていて
本当に良かった。先程恵子から昴が事故に遭ったことを電話で伝えられて驚いて車を飛ばしてき
たのだった。
「いいや。昴が本当いつも世話かけてるな。気に病まないでくれ。
…それよりせっかく来てくれたんだ。さぁ、こちらに来て昴を見てやってくれ」
父親がベッドから少し身を離すと、布団の盛り上がりが見えた。



「……昴……。……昴!」
何度も声をかける。次第に荒々しくなる良秋の声のせいか、母親の恵子は泣き崩れてしまった。
焦りと行き着くところのない憤り。
「…何故…こんな、ことに…!」
「本当、何故こんな酷い事が…っ。昴ぅ…!」
大きな事故を起こしたのにもかかわらず昴の顔は安らかなものだった。酷い傷もなくただ静かに眠
り続けている。いや…良秋の中では現実と虚像が入り混じり、今にでもこの愛しい瞳を開けて自分
を映し出す昴の姿があった。
「昴…。早く、目を覚まして…お願いだ。昴…。」
いくら呼び掛けても何の反応も返さない。
昴は深い深い闇の中を歩き続けているのだから。
「・・・今は昏睡状態で・・・宮束さんに連絡を入れた時には・・・もう。
このまま植物状態になる可能性が高いって・・・先生が・・・。」
恵子が途切れ途切れにそう呟いた。
声が枯れて随分聞き取りにくい・・・。

昴が・・・。
植物状態?
それってもう目を開けないってことか?
話も出来ない。

その事を嫌でも感じていたのか、無意識に涙がでた。
苦い…苦い涙が途切れず流れる。
冷たい手を握りしめ、頬をなぞればなぞる程現実味を増してくる。
思い知らされる。
この現実を。


090406加筆・一部修正