飼い主探し




「それで、昴君は犬が苦手なんですか?」
「昴君って結構大きいですよね。何センチくらいあるんですか?」
「いつも良秋さん良秋さんって言ってるけど、やっぱり宮束さんとは付き合ってるんですか?」
 俺は朝から帝に質問責めされていた。最近雨が降ったり止んだりする中、今日は珍しく日差しが
強く差していた。それでも濃霧の漂う朝には変わらない。それでもせっかく朝早く起きてきたの
に……勘弁して下さい。
『帝さーん……飼い主探し、手伝ってくれるんですよね?』
「あ、あぁ。そうでしたね」
帝はさも忘れていたかのように肩を強張らせた。
今日は何か飼い主探しについての良い案はないかどうか帝達を訪ねたのだ。
「だって昴君があまりにも可愛いから」
帝はそう言い、スバルのさわさわした頬の毛をぐいーっと伸ばしてきた。
『いっ!』
髪の毛が強く引っ張られる感覚がした。いや、実際毛の二本三本抜けたのだろう。
なんだか先が思いやられます。帝は良秋さんを狙っているのとばかり思っていた
が、勘違いだったのかな。心配してたけどあの日以来帝さんと良秋さんとの接触
はないみたいだし……。まぁ、それにこしたことはないんだけれど……。
本当に俺の悩みは絶えないな、とスバルは小さくため息を吐いた。
『帝さん、本当にくすぐったいから止めてくださっ――言ってるそばから何してんですか!』
帝はスバルの太股のところをふにふにしていた。実にくすぐったい。
「猫の姿の昴君も堪らなく可愛らしいです」
『くすぐったい〜!』
大きい瞳をキラキラ輝かせて言う帝の剣幕は凄まじく、周囲にキラキラが見えるようだった。
猫マニアっていう人が多いのは分かるけど、自分の身体より数倍大きい動物に攻められる小
動物の気持ちが怖いほど分かった。実際に体験してみて分かることってのは意外にも多いのだ。
『ごほん……帝』
視界の端で咳払いが聞こえた。帝の傍らにいたシローが発したものだ。同じくフサフサした彼
の身体には興味がないのだろうか、とスバルは思った。
『楽しんでるところ残念だが、大学へ行く時間だぞ』
「あっ!いけない!」
『えっ、大学あるんですか!?』
相談に乗ってくれるって言うもんだからてっきり今日は休みなのかと思っていた。
「うん。ごめんね」
慌ただしく身支度を整えながら帝がごめんね、と手を合わせた。
『じゃあまた夜にでも来て良いですか?』
「うん。それは良いんですけど……その猫の飼い主探しなんですが……」
少し渋った様子で動きを止めた帝が言った。
『……?』
「出来れば早いうちに探した方が良さそうですよ」
『えっ?どうしてですか?』
帝がどうしてそんな風に言うのか気になった。
「これもまた、僕の勝手な考えかも知れないんですけど、昴君の精神と肉体が離れている今の現状は
やっぱり危険であることには変わりない。つまり、単純に早ければ早いほど良いって事です。下手
すれば戻れなくなることだってあるかもしれませんし」
戻れなくなるのは困る。確かに本来の身体に戻れる方法でさえ前例のない仮説でしかないのに、飼い
主探しなんて余計な事だとは思っている。その事実を言葉にされてハッキリと目の前に出されると不
安が瞬く間に滲んでいくのが分かる。飼い主探しをする決心が鈍ってしまう。
『じゃあ、あとどれくらい飼い主探しの時間があるんですか?』
「それは……確かなことは分からないけど、多分後1ヶ月あるかないか……だと思います」
『1ヶ月……』
それしかないなんて、どうすれば良いのか。まだ飼い主探しのメドすら立ってはいないのに、期間限定
の捜索になってしまった。
手がかりのない状況で途方に暮れているスバルに対してまるで打開策があると言わんばかりに帝は怪し
げな微笑みを見せた。 「そ・こ・で!犬の力を借りましょう!」
『!』
シローが帝の手によって無理やり前に出されたその狼狽えた様子からして打ち合わせのなかった発言ら
しい。愕然とするシローとスバルに対してまたもや帝だけが名案だとばかりに微笑んでいる。
「頼んだよ、シロー!」
犬の力って嗅覚の事かな?警察犬とかもいるし……。
そう考えながらもスバルは不安になっていた。しかし頼れるもの、小さな望み一つでもあれば
それに賭けると決心していた。そしてそれに伴う覚悟もついている。
『お願いしますっ!』
『……いや、でも』
シローは眉を顰めて見るからに困惑した表情だった。
「シロー……お願い」
しかし帝が前に手を組んで頼んだ。まさしくうるうるとした可愛らしい様子で。
『わ……分かった。やれるだけ、やってみよう』
シローは嫌がる素振りを見せたが、渋々といった感じで承知した。彼は帝のお願いに弱いようだ。



 捜索にあたってまず外に出てみた。冷たい外気、そして雨の湿った空気の臭いがした。
犬の嗅覚かぁ……。猫と犬の嗅覚ってそんなに違うのかなぁ。警察猫ってのはいないもん
なぁ……。
スバルはシローを見てそう考えていた。そしてある事に気が付いた。
『嗅覚で探すなら、何かないといけないんじゃないんですか?』
何か、というのはその目標人物である者の匂いの付いた例えば靴下やらハンカチやらの事だ。
当然そんなものは何一つ残されてはいないのだが。
『お前で良いんじゃないのか?』
『えっ……』
そう言うとシローはスバル(正しくは猫)の身体の匂いを嗅ぎ始めた。
『何か嫌だなぁ……』
『俺だって嫌だ』
……ヴっ。
小声で言ったつもりがちゃんと聞こえていたようだ。嗅覚だけでなくどうやら聴覚も優れているようだ。
『ふぅん……』
『何か分かったんですか!?』
『やっぱり猫の匂いだな』
そう言って彼はつんとした顔をした。猫の臭いは嫌いなのだろうか?
それとも自分自身が匂うのではないかと少しショックだった。
たまにお風呂に良秋さんが入れてくれるけれど、最近は自ら面倒がったりして入らない日も多くなった
し……。スバルはシローに対して申し訳ないという気持ちになった。そして人間として最低限お風呂
にはきちんと入ろうと自分を叱責した。
『ごめんなさいっ』
『冗談だ。この匂いなら近くで嗅いだことがある。こっちだ』
そう言うなりシローは駆け出して行った。スバルもそれに急いで付いていく。



 真っ白な大きい犬と真っ黒い小さな猫。猫は犬に追い付くので精一杯だったが、気付いたら見慣れな
い街の中だった。街というには小さすぎるがきちんと区切られた区域だった。ちょうど近くにあった町内
案内掲示板を見るとこの区域の周辺地図と区域自体の詳細地図が描かれたポスターが貼ってあった。
それによると、スバル達の住む区域から四キロ程離れた位置にあることが分かった。
『ここは?』
『芥子市ニュータウンだな。恐らく飼い主はここにいるんじゃないのか?』
『けしいちニュータウン?』
芥子市ニュータウンとは、新しい家々ばかりが多く立ち並ぶ住宅街である。交通もしっかりしあって、遊
歩道なんてお洒落なのや、花壇の綺麗な公園。「ゴミのポイ捨て禁止!」と大きな文字で書かれた看板が
いくつもたっている。そういう活動にも力を入れているって事だ。
スバル自体は全く知らない区域だった。区域名くらいなら何かで見たような気もするが、特に気にも留め
なかった。本当に半年前ぐらいに出来たニュータウンなので友達もいなかった。
それにしても犬の嗅覚……恐るべし。自分ならこんな凄いことは出来ないと素直に尊敬した。
『それにしても、ここじゃ広すぎて……!』
『そうだな……匂いでは微かに近くまで来ているんだがな』
『どうしよう……』
『仕方ない……後日また来よう。ずいぶん暗くなったしな』
『はい……』
スバルは渋々といった様子でシローの言うことに従った。冷静なシローの判断が最も正しいと思ったし、
信頼しているからだ。周りはすでに夕闇に包まれていた。冬が近いので陽が暮れるの早いのだ。
結局その日は一旦帰ることにした。大した収穫はなかったが、目的地を定められただけ今日の捜索は為に
なったと思う。
 振り返ってもう一度この街を脳裏に焼き付ける。すると音を立てて木々がざわめき立てた。遠くにみえ
る真新しい公園から冷たい風に曝された遊具たちが佇み、ブランコがきぃきぃと音を立てていた。午後六
時頃だと思われる時間帯だが、子供一人として遊んでいる様子がなかった。しかし寂しいとか廃れたとい
う雰囲気ではなく、逆にみんなそれぞれ暖かい家庭の中で家族仲良く団らんしている様子だ。カーテンで
遮られた窓から暖かい光が漏れていたのでそう思った。きっと子供も幼い子供達ばかりなのだろう。冬で
暗くなるのが早いから町内ぐるみで子供達に「もう遅いから早く帰りなさい」と声をかけるに違いない。
自分が小さい頃は親が怒り出すまで外で走り回っていたことを思い出した。そんな幼少時代の環境と異な
る奇妙な感覚を抱きながらも、スバルは何故か心地よいものを感じていた。懐かしい、あるべき場所に無
事帰ってきたような気持ちになった。猫の影響かもしれないが、俺はここにいると直感で確信した。


090415