飼い主探し 2/3




 今日は日曜日。眠りの底にいた意識を無理矢理起こした。枕元の時計はもう十時近くを差していて、
良秋は顔を顰めた。身体は怠く、まだ眠い。このまま一日中ベットの中でも構わないかと一瞬思った
が、あまりもの居心地の悪さに二度寝をすることが出来なかった。そのわけはいつも懐にあるはずの
体温が感じられないからだった。隣でいつも眠る彼の姿がない。けれどそれは二週間前程からずっと
で、最近になっては驚く事でもなくなっていた。
彼は……スバルは今どこにいるのだろうか。確か、犬の……シロー、さんとスバルの……猫の飼い主
探しをしているのだろうか?何だか周りがこんな状態で、帝さんは普通に接しているし、自分だけ置
いてけぼりされているような気分だな。

 良秋はため息を吐いた。正直シローのことを好きになれなかったからだ。シローが悪いわけではない。
嫌いになるための理由がない。いや、あるにはあるのだがそれを理由にしては情けないと思った。
それは飼い主探しのパートナーに、スバルがシローを、選んだこと。自分より、シローをだ。つまり簡
単に言ってしまえば嫉妬である。我ながら情けないと先程よりも深いため息をついた。シローは誠実な
性格で、信用置けるということも重々分かっている。スバルがそんな彼に頼り切って、毎日毎日飼い主
探しを手伝って貰っていることも理解できる。スバルが楽しそうに話すのだ。飼い主探しの捜索はシロー
さんのおかげで順調だから心配しないで、と。その日その日の進行の様子を事細かに話すものだから、
嫌でもシローの立派なさまが分かる。無論シローにはこの心内は悟られちゃいないだろう。馬鹿馬鹿しい
子供じみた嫉妬心に自分でも嫌になるが、スバルが自分を選ばなかったことは何より自分に重くのし掛
かったのは事実だった。良秋は誓ったのだ。スバルが決心をつけたあの時。彼が飼い主をきっと探し出
すと誓った時、自分も誓ったのだ。――自分は彼の一番近くにいて、常に支えてやるのだ、と。良秋は
歯を強く噛んだ。果たして自分はスバルの支えになれているのだろうか。一緒に探そうにも、実際捜索
の手伝いをしているのは、自分ではない。一ヶ月ほど前ばかりに知り合ったばかりの男。同じ境遇として
苦悩をともにする仲なのかも知れないが。暗い考えばかりが思考回路を独占していた。

カーテンを開けると暖かい日差しが差し込んだ。今日は実に秋晴れの良い空で一日暖かくなりそうだ。
一人で悩んでばかりいるからこんな暗いことばっか考えるんだ……!
そう思って良秋はシャツを脱いで着替えた。



 今は取り敢えず良秋もスバルの飼い主探しをしている。が、昴が言っていた芥子市ニュータウンより
ずっと離れたところに来ていた。芥子市ニュータウンの端の方、芥子柱というところだ。やはりここ
も真新しい造りで道路は新しく、ゴミ等の清掃も行き届いている。良秋はすっかり感心してしまい、い
つかここいらに一軒家を持ちたくなった。
昼過ぎ。ぽかぽか暖かい日差しの中、ベンチに腰掛け休養を取る。近くのコンビニで昼飯を買って食
べて、それから飼い主探しは断念。しかし、もとより探す気などないのでそれは良いのだが。自分は
そういった事は苦手で好きでもない。昴の為と思い極力力になってあげたいとは思うのだが。
どうしたらいいのか、飼い主などどう探せと言うのか……。

 あの二人の行動力には自分は到底ついては行けないと思った。猫犬の俊敏さにはどうせついてはいけ
ないだろう。むしろ野生の勘みたいなもので探していると行っても言い。良秋はそれについては感心
と期待を持ったが、とてもじゃないけれどこんな二人の捜索にはついてはいけないのだ。
だけど、動物じゃ困ることもあるだろ。良秋はそう思って、聞き込みをしてみた。スバルの言っていた
芥子ニュータウン中枢区域からこの芥子柱周辺まで二十人ほどには聞き込みしたけれど成果はいいち
だった。良秋が聞き込みをした人全員が猫については何も知らなかった。猫を探しているとか猫が居
なくなった、という話すらないそうだ。しかしよくよく考えてみればそれも当然のことだった。なんせ
猫の交通事故があったのは三ヶ月程前なのだ。月日が経ちすぎているし、飼い主すらもう諦めている
のではないか。そう思うと、折角忘れられているのにわざわざ姿を現せなくても良いような気がする。
何が最善なのかよく分からなくなって良秋は今日何度目かのため息をついた。

 途方に暮れていると小さい頭が横をかすめた。見ると、まだ幼い少女が腰を屈めてベンチの下を覗い
ていた。よって顔は見えない。何か捜し物か、落とし物でもしたのだろうか。少し気に掛かり覗いて
みる。俺は目の端だけでその頭を追った。髪が腰まですらりと伸びている。子供独特の薄い柔らかな
毛質だった。そして白く細い手足が忙しなく動き回っている。
「キミ、何してるの?」
良秋は出来るだけ優しい声色で訪ねた。
「……おじさん、だれ?」
体はそのままベンチの下を覗くような体勢で顔だけを向けて、大きな瞳で良秋を見つめてくる。警戒
はしていないようだった。
「お、おじさん……」
良秋は少女の言葉を反芻し、眉間に皺を作った。少女は俺を指差し、おじさんともう一度言った。



 ちょうど午後を少し過ぎた頃、スバルとシローは昨日と同じ芥子市ニュータウンに来ていた。午前
中から捜索を開始していた成果か、大々的な目星がついていた。二人改め二匹は背の低い建物の前に
立っていた。
『あぁ、これ以上は分からないな。だが、この敷地内には必ずいるだろう』
シローの尻尾がふさふさ揺れた。彼の言うこの敷地内というのは向こうの二軒離れたマンションから
自分たちの眼前にあるマンションまで、つまり三軒のマンションの事を指している。
『頑張ります』
なかなか気が遠くなりそうな規模だった。マンション三軒と言っても、間あいだに一般住宅もいくつ
か見受けられる。範囲が定まったものの・・・一体どこにこの猫の飼い主はいるのか?
『大丈夫か?俺も手伝ってやる。安心しろ』
『シローさん〜』
本当に頼りになるよ、シローさんは!
スバルはシローの優しさに感動して飛びついた。

『それにしてもこの姿は便利でもあるし、不便でもあるな。捜索自体は鼻も利くし、素早く動けるん
だが、人と会話できないのが駄目だな』
『そうですね。情報収集が出来ればもっと効率良く探せますよね』
 スバルはシローの言ったことに同感した。やっぱり良秋さんに手伝って貰えば良かったなと思うの
だが、自分の我が侭に付き合わせている上、仕事で疲れて帰ってくる良秋に余計な苦労をかけたく
なかったのだ。良秋は「俺に頼って欲しい」と言ってくれたが極力良秋には迷惑かけないように
この飼い主探しをしなければいけないと考えていた。
良秋さん今頃何してるかなぁ?
スバルはシローに隠れて少しセンチメタルになってしまっていた。
『今度帝も手伝わせよう。あいつも暇だからなぁ』
ぽつりとシローがそう言った。それを聞いたスバルは素早くそれを拒否した。
『えっ、そんなの悪いですよ。帝さんだって大学忙しいと思うし、今でさえこれ以上ないくらい迷惑
かけてるのに!……シローさんだって、迷惑になってませんか?』
スバルは心配になった。シローが無償でこんな無謀な行為を手伝ってくれるのが不思議だった。しかも、
こんな何の義理もない自分なんかのために、と。
『そんなことはない。迷惑なんて思ってない。そんなこと気にしてたのか?それに帝だって、お前のこ
とが心配で仕様がないんだ。毎晩毎晩お前のことを言っている』
『えっ……本当?帝さんが……』
帝さんまでそんなに心配してくれてるんだ……!
スバルはシローの言葉を聞いて少し気にするのを止めた。そしてその分頑張ろうと思った。
うじうじ悩んでたって何も解決しないんだから!一刻も早く飼い主を見つけることが良秋にも帝さんと
シローにも良いことなんだ。
『よっし!シローさんもう少しだけ手伝ってください!』
シローが悟ったように頷いく。二人は捜索を再会した。



 少女は女の子らしい花柄でピンクのワンピースを着ていた。子供の割に理知的な雰囲気を持った子だと
思った。
「おじさん……誰?」
「……む」
こんな子供に大人気ないとは思うけれど、この若さでおじさんと呼ばれるのはどうも気に障る。
「あのね、悪いけどお兄さんって歳なんだよ。まだ」
「お兄さん?」
首を傾けて少女は呟いた。本当に目がぱっちりしてて可愛らしい子だった。
「そう。名前は宮束っていいます」
「みやつかお兄さん?」
「お!そうそう、偉いなぁ」
俺がそう言って頭を撫でると少女は嬉しそうに笑った。
「私の名前はね!ゆいこっていいます」
「ゆいこちゃんか……可愛い名前だね」
「ありがとう。お兄さんもなかなか格好良いよ」
「ははは……それはありがとう。それで何をしていたんだ?」
そう聞くとゆいこは肩を固くし黙り込んだ。どうやら聞いて欲しくないことだったのか、瞳に影が落ちた。
だがゆいこの口からしばらくして言葉が漏れた。か細く聞こえたけれどそれを聞いて俺はハッとした。
「ゆいこのタイキがいなくなっちゃったの」
その言葉が今の自分たちにとって最も救いの言葉であること。タイキ、という単語が引っかかった。
これほど期待していけないことはないだろうと思った。しかし、もしかするとそういう偶然だって
あるのかもしれない。
「ゆいこちゃん……そのタイキって猫の事?」
一瞬冷たい水を被ったようにぎょっとしたが、ゆいこは直ぐに答えた。
「……うん!タイキは猫だよっ!どうして?タイキを知ってるの?」
「うん。このくらいの……真っ黒い子猫だろう?」
手でサッカーボールぐらいの大きさの円を描くように輪を作り、猫の身体の多さを表現した。ゆい
こはそれを見て確かに頷いた。
やっぱり思った通り。タイキ……その猫はもしかすると……。
まさか芥子市ニュータウンからこんな離れたところで会うなんて思いもしなかった。幾らも探す事な
く飼い主に出会えるなんてまさに奇跡としか言い様がない。
「ゆいこちゃん、君の猫は……」
「……?」
考えて見れば、これ程酷なことはないだろう。彼女は猫が交通事故に遭ったことなんて当然知らない
様子だった。ゆいこが本当に飼い主だったとしても猫は死んでしまっている。一体どのようにして伝
えれば良いのか、その言葉が良秋にはまるで思い浮かばなかった。一瞬考えて、まずは昴に報せる事
が先決だと思い立った。
「ゆいこちゃん、俺と一緒に来てくれるかな?その……猫に、会わせてあげるから」
「本当!?行くっ!」
ゆいこは本当に嬉しそうにはしゃいで笑った。
その笑顔を見て、更に良秋の心は痛んだ。どうして会わせてあげるだなんて言ってしまったんだろう。
良秋は数分前の自分を呪った。咄嗟に言ってしまったものの、こんな少女に何と言って切り出せと言うのか。
良秋の心は不安で染まっていった。


090427