さくはる




 「窓白」と俺は呼びかけた。向かい側に座って文章を作成していた窓白が、シャーペンを走らせな
がら俺の呼びかけに声だけで応えた。カーテン越しに差す日光が窓白の薄い肌に色を与えていた。相
変わらず日に焼けない色白い肌である。陽に当たらない部分は暗く、色を持たない。

「明日さ、空いてる?」
 俺の指す明日とは土曜日のことだ。勿論学校はない。思えばいつからか学校は週休二日制なってい
た。周に六日も学校の授業を受けていたことは、遙か遠く、朧気な記憶の中にしかない。でも部活や
委員などがある人は、結局学校に来ないといけないのであまり変わらないような気もするが。

 窓白の目線は俺を通り過ぎて、天井で止まった。そしてそこを見つめている。少し考えている様
子で、シャーペンの頭を顎に押しつけている。彼の頭の中では自分のスケジュール帳が捲れているの
だろうか。
「んー……。別に暇だと思う。けど、なに?」
「暇?じゃあ、花見行こうよ」
「はなみ?」
窓白は「花見」と聞いて怪訝な声色で聞き返した。何だそれ、とでも言われそうな表情でもあった。
まさかこの日本という国で桜を知らない人間はいないだろう?
「良いだろ?あれだ、豊とか有谷とか呼ぼう。みんなで花見とか楽しいだろ?決定なっ!」
俺は自分だけで提案と決定を行った。暇だと窓白は言ったが、断られない保証はない。万が一、断ら
れたら嫌だった。どうしても窓白と花見がしたいと思ったからだった。窓白は強引な俺の策略に乗り
気じゃないんだろうけど、次第に頬が柔らかく緩んで「仕方ないな。分かった」と言って少し笑った。

 春と呼んで良いのかどうか分からない陽気で生ぬるい風が肌に当たってすり抜けていく。俺が花見
場所に選んだのはここら辺ではちょっとばかり名所になっている神社だった。広い参道を辿って行く
と威厳のある神の社殿がある。紅い瓦屋根が目立つ大社造りの立派な社だ。いつもは寂れた神社独特
の妖気と雰囲気を帯びているが、今日は神が無礼講だと言わんばかりに雑踏で賑わっている。オヤジ
は昼間から酒を煽って、何が面白いのか腹を抱えて笑っている。子連れのお母さん達も多かった。勿
論俺達のような学生も大勢見受けられる。本当に花見というだけでこれ程までに人が集まるのだから
不思議なものだ。

 参道の脇に沿って桜並木が出来ていた。桜なんていうのは日本中何処にだって咲いているような花
だ。栽培方法や環境なんか良く知らないけれど、近所の公園や公共施設付近にだって咲いてるし、当
然俺の通う学園にだって咲いている。しかし俺は敢えて雑踏としたこの人混みを選んだ。それもまた
花見の醍醐味なのだ。人の陽気な騒ぎ声は鬱陶しいけれどお祝い事のように気分を掻き立てる。俺は
こんな雰囲気が意外と好きだった。
「すごい人だな」
窓白が鬱陶しそうに人の群生を一瞥した。いかにも人混みは苦手です、と言った様子だ。そう言えば
以前そのような事を言っていたのを思い出した。出来るだけ静かな場所に陣取りたいが、この喧噪は
勘弁して貰おう。

 俺と窓白は途中で待ち合わせして一時頃神社に着いた。更にそこでも有谷大祐、桃井潤也、黒木豊
の三人と待ち合わせしていた。しかし三名とも来ない。仕方ないからちょっと待つことにしよう。
「有谷とももちゃんはもうすぐ来ると思うんだけどなぁ」
「黒木は?」
「豊は良く分からん。一応誘ったけど来ないかもなぁ」
有谷と潤也ペアは多分もう少しで来るだろう。豊は本当に来るかどうか分からなかった。

「あ」 
 しばらく待っていると窓白が遠くを見て声を出した。待ち人来たり。俺もその方向を見た。すると
予想通り長身とちっこいのとの凸凹コンビが雑踏に流され悪戦苦闘していた。それを助けるように俺
は手を振って、自分たちの方向に誘導した。
「きたきた!おーい!こっちだって!!」
呼ぶと向こうも気付いたらしく、手を振り返しこちらに向かってやって来た。人混みを上手くかき分
けて、やっと合流することが出来た。
「ごめんごめん。時間通りに来たんだけど、場所が分からなかったんだよ」
手を頭にやって申し訳なさそうに頭を下げた有谷とげっそりとしたような潤也がやってきた。
「何か俺もー疲れたかも……人多すぎ!」
それには窓白も頷いていた。本当にこの二人は今まで俺達を捜して迷っていたんだろうな。

 広大な規模の神社には社の他にも神木や池があってそれらも見て楽しめるようになっている。俺達
四人は入り口付近からずっと離れた社の裏側の方まできた。神社は社殿を囲むように桜が植えられて
いる。なので、裏側といっても十分桜は満開だし、表よりは静かに花見をしている人達が多かったの
で、取り敢えずここに落ち着いた。
「なんだかゆっくり出来ないなぁ」
有谷が言った。なかなかワガママな奴だな〜とも思ったが、周りが母子とか老人ばかりだったから落
ち着かないというのも納得出来た。
「そうか?じゃあもっと奥に行くか」
俺は先導して奥に広がる野原のような芝が茂った所に行った。ここにもきちんとした桜が広がってい
る。芝は綺麗に整備されていて人工芝のようにも見えたが、多分本物だろう。
「何か敷くもの持ってくれば良かったな」
窓白が芝を見て言った。確かに直で座るには芝がちくちくとして刺さってしまうかも知れない。
「じゃあ、俺が買ってくるよ」
神社から五分ほど歩けばコンビニがある。俺はそこでビニールシートかなんかを買って来ようと思った。
「シート買ってくるけど、何か欲しいものあるか?」
「もりかりぃー、団子買ってきて。御手洗ね」
ちゃっかし潤也にリクエストされた。

 大通りを通って無事コンビニに着いた。まずお目当てのビニールシートを買って、花見団子とお菓子、
ジュースを買った。帰りは残してきた三人が無性に心配になって早足で神社へ向かった。


「あぁ、もう、先輩!ホント勘弁して下さい」
 匁の口元にピンポン玉くらいの大きなたこ焼きがぐいぐいと押し込まれようとしている。こんな周囲
の目のある、公衆の場でのその行為は匁にとってこの世じゃあり得ないと思うぐらい恥ずかしい行為
だった。しかし、目の前の男はそんな行為をものともせず、なんの気にも留めることなくやってしま
うのだった。更にその表情は楽しくて楽しくて仕様がないと言った表情だった。むしろ悪戯をしてい
るような感覚でさえあるのだと思う。
「ほら、あーん」
カップルの良くやるようなお互いで食べ物を食べさせ合うというこの行為。豊は匁がその行為を拒絶
するのを見て、口を尖らせた。
「む?何だって?俺のこと好きじゃないのか?」
「そんなこと言ってませんよ!それとこれとじゃ全然関係なっ――むぐっ」
虚しい抵抗の末あえなくたこ焼きは豊の手によって匁の口に入れられた。してやったりといった顔で
豊はにっこりと微笑んだ。
「美味しいか?」
「……」
口を動かし咀嚼する。別に誰が見ているというわけではないが、匁は凄まじい羞恥心に襲われていた。
そんな様子を豊が顔を覗き込んでくるから更にどうしようもない。わざとして、自分を困らせている
に違いないのだと匁はそこで半分諦めた。


 神社へ着いた俺は隅の方で出ている出店の方を少し覗きつつ、三人の待つ芝生のところまで急いだ。
しかし、人の腰上ぐらいの高さに積み上がっている石段の上に見覚えのある二人組を発見した。一人
は俺の親友。というか悪魔。もう一方はその悪魔の従えている哀れなお供、といったところだろうか。
その二人がいた。
「何やってんだお前等はっ!!!!」
そして俺はそいつらに不感を持った。何故なら豊とは待ち合わせをしていたのに、こんなところで二
人仲良くたこ焼きなんか食っているからだ。
「おぉ!!涼助!探してたんだぜ」
「嘘つけ!!」
しかも平然とした顔で俺達を探していたと言う。豊はケロッとしたとぼけ面でへらへらしている。
――それにしても、こんな面前で堂々とイチャついていられるとは恐るべし……。
「も、森狩先輩……あのっ、ちょっといいですか」
今まで豊の隅で俺達の会話を聞いていたもう一人の人物が発言した。おずおずといった様子だ。俺に
何か用があるのだろうか。心なしか顔が青ざめているように見えた。
「ん?俺?」
「はい。あの……実は俺今日午後の部活サボって来ちゃって……そのこと、有谷先輩に黙ってて下さ
い!」
……ああぁ……。合点が付いた。成るほど。匁の隣で豊がニヤリと悪魔の笑みを浮かべた。もしかし
なくても彼は豊に無理矢理連れて来られたんだろう。当初の予定に彼が参加していなかったことと、
匁の肩に下げたエナメルのスポーツバッグを見てそんなことだろうなと思った。匁と有谷は同じバス
ケ部で上下関係の厳しい関係だ。それなのに上手いこと言って無理矢理連れて来られた。なんて可哀
相な奴なんだ。こんな悪魔に取り憑かれてしまうなんて。そう心から匁爽士に同情した。
「はぁ、でも、え〜っと、だな。出来ることならそうしてあげたいんだけど」
「は?」
俺は口ごもった。言ったことは本心だ。出来ることなら黙っていてあげたい。だけど、この場合逃れ
ざるを得ないんじゃないのか?だってその有谷は――。
「おーい、涼助焼きそば買ってきたぞー」
タイミングを見計らっていたように有谷の声が俺達の間に降ってきた。可哀相だけどそういうことだ、
諦めてくれ。その声の持ち主が誰なのか分かった瞬間匁の肩が跳ねた。声が聞こえてから三秒後のこ
とだった。
「ひっ!?」
「うぉあ!」
豊がいきなりのことで素っ頓狂な声を上げた。匁が豊の背の後ろに隠れたので、その反動で豊の体が少
しふらついたのだ。大体自分より体格の小さい奴に隠れるなんてどうかしている。俺からだってばっち
り匁の姿が見て分かる。それ程有谷は怖い先輩なのだろう。まぁ、上手くいけば顔くらいは隠せている
のかも。しかし有谷は一瞬見ただけでそれが誰なのかが分かった。それもそのはず。同じバスケ部の後
輩なんだからな。俺は完全に他人事で匁を哀れんだ。
「オイッ!お前何でここにいんだよ!部活はどうしたんだ!サボってきたのか!?」
「せっ、先輩こそ!!」
「ぐっ……!」
有谷の威勢のいい張り上げ声が匁の一言で止まった。そりゃそうだ。有谷だって部活をサボってここ
に来ているわけなのだから。
「……」
「……」
二人の動きは完全に静止していた。と、言うよりはお互い出方を待っているという感じでもあったし、
これからどうすればいいのか考えているようでもあった。二人の間に挟まれた豊が少し可哀相で面白
かった。苦笑いで事の行方を見守っている。俺はそのやり取りを少し離れたところで傍観していた。
すると有谷の後方から小さい何かがひょこんと顔を出した。
「まぁまぁ、いいじゃんそんなのどうでも。ね?後輩君?」
それは潤也だった。手にはフランクフルト二本と何かの入ったビニール袋を三つ腕にぶら下げている。
潤也は上機嫌の笑顔で匁の顔を覗き込んだ。匁はそんな彼をしばし見つめていたが、結局誰だか分から
なかったらしく苦笑いで返した。
「えーっと……」
「俺、桃井潤也。よろしくっ!」
潤也が敬礼でもするように手を額にやった。
「あ、宜しくお願いしますっ!」
匁は潤也の持ち前の小動物系の可愛らしい癒しの笑顔に頬を緩ませた。同じくその笑顔で桃ちゃんバ
カの保護者も表情を和ませた。俺と豊は目で語り合い、乾いた笑い声を出した。

「っていうかお前ら、窓白は?」
それは先程から気になっていたことだった。二人で屋台巡りをしてたんじゃ、窓白はどこにいるんだ よ?
「あー……潤也が焼きそば食いたい、出店行こうって言うから」
「窓白はあそこで待ってるって言ったから置いてきた。でもちゃんと窓白の分も焼きそば買ったし。
あと串お好み焼きとサツマイモスティックも買ったし!それと――」
潤也自身が両手に抱えたのと、有谷が持っていたビニール袋を見る限り大体の出前を回り尽くしたよ
うだ。心の底から花見を堪能してくれているようで嬉しいが……。
「じゃあ、芝んとこにいるんだな?じゃあ俺、先行ってるから!」
俺は急いで芝生のところまで走った。

 窓白は普通に芝生の上に座り、静かに桜を見上げていた。何かに魅入られるようにして見入ってい
る。そんな窓白は実に儚げであった。男にこの形容詞はきっと世間的に不適切で、窓白が聞いたら怒
るだろうが、儚い、淡い、美しい。そんな三拍子が俺の頭の中に浮かんだ。色白い窓白は桜という背
景に溶け込んでいて、漆黒の瞳と髪だけが妙にはっきりしていた。
「窓白」
近づいて俺が声をかけると、視線だけをこちらに向けた。
「桜、綺麗だな」
淡々とした声色でそう言った。だけどその頬は少し色づいて桜色に染まっていた。
「来て良かった?」
「うん」
窓白がそう言ってくれるなら今までの苦労も全部チャラになってしまうような気がした。
みんなには悪いけど、もう少しだけ窓白の隣で桜を見ていたいと思った。


 それからみんな揃って花見を再会した。俺が買ってきたビニールシートに男六人は少々狭かったけ
ど、楽しい時間だった。それぞれ買ってきたものを広げて、食べて飲んで、ちょっとした宴会もどき
になってしまった。
「酒飲みてぇぇ」
豊が手足をだらしなく伸ばし心底「酒ぇぇ」と訴えた。未成年だろっ、俺達は!
「ちょっと、先輩。重いですよ」
伸ばされた豊の手足の被害にあった匁が豊に訴えた。
「なぁ、涼助。この間のアレ。どうなったんだ?」
有谷はたわいもない会話を掛けてくる。たけど桃ちゃんの過保護には余念がなく、手だけは忙しなく動
いていた
「窓白ぉ。これ美味しいよ。何かさ、いいねーこういうの。みんなでいると楽しいね」
潤也が花見団子を勧めながら窓白にそう訊いた。
「うん。楽しい」 
窓白がそう答えた。何か俺には絶対見せない極上の笑顔で。

 みんな騒ぎまくって、最後の方はそれぞれ楽しんでお開きになった。豊が匁を押し倒してから、有
谷が潤也を連れて「ちょっと回ってくる」と言って出かけてった。こいつら勝手過ぎだろ。俺と窓白
はそんな様子を見て呆れてしまった。それからシャレにならなそうな雰囲気で豊に襲われそうになって
いる哀れな匁後輩を救出してやった。豊は限度をしらなくて困る。午後六時ぐらいになって、星が薄
い空に見え始めたころ「そろそろ帰るか」と窓白に声をかけた。

 まだこの時期だと辺りが暗いから帰っていく人も多い。逆にこれから来る人も朝まで飲み明かすの
だろう人達もいるが。俺が見たところみんな楽しそうで、結果的にはこの花見は大成功に終わること
が出来たと思う。俺自体も有意義な休日を過ごせたわけだ。しかしそれと逆に有谷と匁は悪の協定を
結んだようだったし、匁は最後まで可哀相な役回りだった。いや、そうでもないのかもしれないが。


 俺はそのあと、それぞれと別れて最後に窓白と別れた。別れ際窓白がこう言った。
「始めてした。あんな花見」
それはどういう意味だ?良かったのか、悪かったのか?大成功と思ってた分少し心配になった。
「楽しかったか?」
「それ さっきも訊いたろ?お前は?」
「ん?」
「森狩は楽しかった?」
「ああ、もちろん!」
「じゃあ、良かった。俺も楽しかった。誘ってくれてありがと」
すっかり暗くなってしまったが、月夜の光を暖かく受けて窓白の肌に金色の光が反射していた。
じゃ、と言って軽く微笑んだ顔に鼓動を速くしてしまいながら、マンションの大きな自動ドアの中に
窓白が入って行くのを見届けて俺は上機嫌な気分で帰路についた。途中で自分でもキモいなぁ、と思
いつつも顔がにやけてしまった。俺って結構単純なのかも。それとも窓白の端正な顔形が悪いのか。
いや、後者であったらちょっと悔しいな。

 今年の桜は満開で、みんなの幸せを祝福してくれているように風に舞っていった。見慣れた桜だって
窓白がいれば新鮮に感じられた。今まで何とも思ってなかったものが突然輝いて見える。俺はそんな気
持ちに高揚した。

 ――また今年も良いことがありますようにっ。俺は夜風に散っていく桜の花びらにそ
う願いを込めた。そしてそれはそれに応じるように盛大に舞ってどこか星の零れたような空へと消えて
いった。


2009/04/30