傷跡 1






煙の匂い。むせ返るほどに強く、俺の肺を冒そうとする。原因は隣で奴が吸ってるタバコのせいだ。
奴はいつも俺を抱いた後必ず決まってタバコを一本吸う。

いやだいやだ。
タバコは好きじゃないから。

匂いもこの煙も全て嫌悪がするんだ。

「……」

奴はすぐにシャワーに向かう。俺と何もなかったことにするために。俺の存在を消そうとするかのよ
うに。

そして俺は何も言わず、ただその背中を見ているだけ。

「……ハァ……」

何でこうなっちゃったんだろう。俺は情けない声を出して膝を抱えた。

氷室克。この男は俺を傷つけてばかりだ。自己中心的で強引で俺様な超嫌な奴。殴られたことだって
何度もある。口の中が切れてるのだってしょっちゅうだろう。しかも俺様なだけに氷室自体は大学で
はとても優秀で人脈も多い。

俺はそんな氷室に心身共に傷付けられ苦心しているのが常日頃。

でも、いつまでもこの関係が続けばいいと思っていた。別れたい反面この男に縋り付いてる俺がいる。
これが俺なのだ。卑しく、浅ましい。男のくせに男を追ってしまう。昔からそうだったから。

「もっと優しくなれねーのかなー。……傷つけられるのって嬉しくねーよ……」
なんて独り言。
女々しいんだよ、俺は。

氷室は俺以外の男を抱いたり平気でするし。その度に傷つくのは他でもない俺。
最悪なのが、俺を目の前にして堂々とそういう行為を行うことだ。氷室が俺のことをどう思っている
のか分からないし、当然俺達が一体何という関係なのかも分からない。


俺と氷室の出会いは単純だった。高2に上がる時に行うクラス替えの時にたまたま同じクラスになった。
ただそれだけ。噂で聞いていた通りの容姿端麗な氷室をただ見つめていた。ただそれだけなのに。

そしたら無理矢理キスされ、その後は……無理矢理やられた。
しかもその時の氷室の台詞はこうだ。

「物欲しそうな顔してたから」

……物欲しそうな顔。してたのかな?

良く分からないが俺が誘ったということだろう。声すらかけてないのに。
しかも、そこからずるずると今の関係を引きずってる。

そういえば、付き合ってすらいないのではないか?

そんなこと言われてない。俺も言ってないし。
そもそもこういう行為は恋人同士がするもんだとばっかり思っていた。
だったなら、今の自分達はまるで順番がバラバラだ。
…。

ベットに沈んで天上を見上げていたがハッと我に返った。
・・・氷室がシャワーから出てくる前に急いで帰らないと。
前にいつまでいるんだと手首を捻られたことがある。
氷室にとっては俺はしょせん性処理の道具でしかないということだ。

身体中怠いし、汗もかいてベタベタする。早く帰ってシャワーを使いたい。
俺も全てなかったことにしたい。
俺はひっそりとなるべく気付かれないように風呂場を通り抜けた。


「何してんの…。」
肩が驚きのためにびくっと跳ねた。
振り向くと氷室が上半身裸にジーンズだけ履いて風呂場から顔を覗かせていた。
「ひ…氷室!あ、あの…。」
口籠もり、語尾がつい小さくなる俺を不満気な顔で氷室が睨んでいる。

「ごめん!す、すぐ帰るから…!ごめん…。」
どうしても声の最後の方が震えてしまっていた。
固く固く拳を握ったが、その分背中から冷たくなっていくような気がした。

俺はひたすら謝って、それから一刻もこの場から消えてしまいたいと思った。
しかし氷室が冷たい目で睨みを利かせてくるから微動だにも出来ない。

氷室が近づいてきて俺の手首を捻るように掴んだ。
「痛っ・・・!」

氷室は俺がいつまでもいたことを怒っているのだ。
だから俺の手首をこんなにも強く掴んでくるのだ。
そう思った。

「離して…くれよ。」
そう言うと、握る力は更に強まった。
この後どんな目に合うか分からない。殴られるのか、首を絞められるのか分からない。
言葉に言い表せようもない恐怖で足がガクガクした。

「どうして帰んの…。」
「…あ、でももう終わったじゃん…?」

震える手。
しかし、その手が俺ではなく氷室のものだとすぐ理解した。
その瞬間、壁に突き飛ばされ荒々しいキスをされた。
「んっ…!んんっ。」
俺は直ぐに反応してしまい、呼吸が乱れた。
俺が苦しくて涙で視界が霞んできた頃やっと解放された。
俺が肩で息をしていても、氷室は一言もしゃべらない。
嫌な奴。きっとこんな俺の惨めな姿を嘲笑っているのだろう。

「なぁ。いつまでそこにいんの?」
「つ。」
いつまで?それはどういう意味なのか?
勝手に無理矢理キスしといて、その扱いか。

「…分かった…。ごめん。」
俺は乱れて摺り上がったよれたTシャツを直すと、怠い身体を壁に寄りたたせるようにして玄関に向かった。
その時の俺は悔しさよりも怒りが支配していて、頭の中も真っ白。
あんな奴、嫌な奴!

家に帰ってからも最悪だった。
家と言っても安いアパートを借りて親と離れて暮らしているのだが。

まずはシャワーだと思い下着を脱ぐと、血。
まさに鮮血。その色の変わりに俺の顔は真っ青に染まっていただろう。
どうりでいつもより身体が怠いはずだ。
氷室との行為も大分慣れたと思っていたが、この血を見るのには慣れない。

「女じゃあるまいし…。」
ふつふつとした頭ん中をシャワーでさっぱり洗い流した。
何とも言えない気候であるこの季節に冷水。
頭の随までキーンとした。噛み付かれたような傷に水が凍みた。